ファッション&コスメのライフスタイルブログ

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パンク系ファッションの特徴について解説

元は音楽スタイルの一つである「パンク・ロック」から派生したが、現在では音楽、アート、文学、ファッションなど様々な表現形態がある。

パンク系ファッションとは?

最初にパンクと認識される音楽スタイルが登場したのは、1974年から1976年のアメリカ・ニューヨークでのこと。ニューヨークを拠点としていたラモーンズ (Ramones) がイギリス・ロンドンで公演したことを機に、イギリスに同傾向のバンドが続々と登場した。中でも、ロンドンで結成されたセックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発により注目を集めた。

歴史的観点から見るならば、70年代のイギリスは労働党権下の所謂 "英国病" といわれた時代であり、中東戦争 (オイルショック) 、インフレ、失業率の上昇などの影響から経済不況の中にあり、生活水準の低下などが深刻な問題となっていた。それらの怒りや権力への反発のはけ口として音楽で表現したのがパンクである。

元々、若者のための音楽として1950年代に生まれたロックは、1970年代半ばになると、まるで古典芸術のようにティーンエイジャーたちが演奏を模倣できないほど高度な演奏技術を要するようになっていたが、いつの時代にもテーゼにはアンチテーゼが登場する。パンクはスリーコードを機軸にパワーコードを加えた簡素なスタイルであり、ノイジーでテンポの速い演奏と攻撃的な歌詞はロックンロールが本来持っていた野蛮性と未熟性を甦らせた。また、1960年代のロックとの決定的な違いは、ブルースの匂いが払拭されていることとそれらの音楽に見られなかったスピード感が挙げられる。

パンクファッションの特徴

70年代のパンク

鋲を打った革ジャン、引き裂かれたTシャツ、細身のジーンズ、タータンチェック柄のボンテージパンツ、安全ピン、ガーゼシャツ、寝癖のような無造作ヘア、短髪を逆立てた髪など煽動的で過激なもの。女性の場合はミニスカート、赤チェックスカート、レザースカートなどが挙げられる。

シンプルなそのスタイルは80年代のパンク・リバイバルと区別するために、オリジナル・パンクと呼ばれることもある。

80年代のパンク

欧米では、パンク・ファッションといえば80年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバルのスタイルが主流。原色に染めた髪を逆立てる、モヒカン刈りやスキンヘッドなどはパンク・リバイバル以降のものであり、70年代のパンクスには見られない。

また、リバイバル以降のパンクファッションはスカル (骸骨) がモチーフとして使われる事が多く、この場合のスカルの意味するところは、戦争を繰り返す社会に向けたメッセージで、「反戦」を意味することが多かった。ファッションのアイテム一つ一つにも音楽同様しっかりとメッセージが込められている。

日本は欧米と違い、70年代のオリジナル・UKパンクと80年代のパンク・リバイバルの両スタイルとも好まれている。

ドクターマーチンとジョージコックスの靴というのは、パンクファッションには欠かせない基本アイテムである。8ホールや黒のエンジニアブーツ、ラバーソールがお勧め。

他系統との融合

退廃的なゴシック調+パンク=「ゴスパン」、ロリータファッション+パンク=「ロリパン」などと呼ばれるミックスされたファッションも存在する。

シド・ヴィシャス

シド・ヴィシャス (Sid Vicious)
1957年5月10日 - 1979年2月2日没

セックス・ピストルズの2代目ベーシスト。パンク・ロックを地で行く生き方から、彼を「パンクの精神」と呼び、崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い。

シド・ヴィシャス」という芸名は、セックス・ピストルズのヴォーカルであるジョニー・ロットンが昔飼っていたハムスターの名前が由来で、ロットンの父親に噛みついたことから「ヴィシャス(凶暴な)」という苗字がつけ加えられた。

元々彼は、セックス・ピストルズの熱狂的なファンの一人であり、ファンの頃からライブ中に記者が邪魔でセックス・ピストルズが見えないと言って、その記者をベルト代わりにつけていた自転車のチェーンで殴るなど、目立った存在だった。

バンドに加入した当初は全くベースを弾いたことがなかったが、加入してからベースプレイに精を出し、初期のライブではベースの位置は高いながらも曲に合わせて弾いているのが確認できる。しかし、その後ナンシー・スパンゲンと知り合ってからは、ベースプレイの練習も投げ出し2人で麻薬に溺れるようになっていってしまったため、結果として上達はしなかった。

1978年10月12日、シドはナンシー殺害の容疑で逮捕され、獄中で二度の自殺未遂を起こしている。そして、保釈中の79年2月2日にニューヨークのホテルでヘロイン中毒で死亡、バンドは自然消滅した。

シドが与えた影響は音楽的な影響もあるが、パンクの精神的な部分であるブッ飛んだ言動とファッション等のイメージに関わるところが大きい。

シド・ヴィシャスのファッション

南京錠のネックレスとリングベルトをトレードマークとして身につけていた。

「R」が刻印されている香港・ラビット社の南京錠のネックレスは、映画『シド・アンド・ナンシー』ではスパンゲンからのプレゼントとして演出されているが、実際には後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドからのプレゼントである。

リングベルトは、ジョーン・ジェットからのプレゼントである。元々はSMグッズの中の一つであった。

まとめ

パンクファッションは、マルコム・マクラーレンという人物がアメリカからイギリスへパンク・ロック音楽とともに持ち込み、セックス・ピストルズによって確立されました。